電脳時代と「ふみ」 (April 21, 1997)
電子メールを使うようになって早いもので8年近くにもなる。
最初のうちは普及していなかった時代の電話みたいなもので、やり取りができる範囲はとても狭く限られた友人とのやり取りの道具にすぎなかった。ところが、この2年ほどの爆発的なインターネットブームでメールアドレスを持つ人が急に増えてきたせいか、やっと普段の暮らしでもそこそこ頼りにすることができる連絡手段になってきたようだ。
メールの普及が企業社会にもたらす変革については、世の中に掃いて捨てるほど関連書籍が出回っているのでそちらを読んで、フリーライダーの中間管理者層は自分の首を洗って待っていてもらいたいものだが、個人的な暮らしにおけるインパクトの話はあまり多く聞かれない。
電話の普及してくる時代の前は対面によるコミュニケーションを除けば、手紙、葉書などの書き物、まあまとめて「ふみ」と呼ぼうか、その「ふみ」が唯一のコミュニケーション手段であった。
古くはナンパをするために歌を詠んでしゅるしゅると和紙に書いて目当ての相手に届けたわけだ。それがまとめられると古今和歌集やら新古今和歌集などという大層なものになっていたりする。また、様々な歴史を繙くにも、当時の人達の書簡というのが非常に重要な役割を果たすぐらいだから、人は相当頻繁に「ふみ」でやり取りをしていたのだ。
それが今のAT&Tの源を作った人が電話を発明したおかげで、喋る言葉をベースとしたコミュニケーション手段がこの世の中を覆い尽くすことになった。
人間だれしも書くよりは喋るほうが簡単である。喋るだけならこんなにらくちんな話はない。私も長電話は嫌いではなく、今までに9時間という長電話をした記録まで持っている。そんなわけでプライベートで「ふみ」をしたためるのはせいぜい年賀状と暑中見舞いに旅行先の絵葉書それに転居の挨拶状ぐらいだという世の中になってきていた。年賀状、暑中見舞い、挨拶状の大半が社会儀礼のイコンだと考えれば、本当にコンテンツを有する「ふみ」なんてものは何年もお目にかかったことが無いというのが正直なところだった。
なぜ「ふみ」をしたためなくなったのかということを考えると、やっぱりそれが面倒な作業を踏まないといけないものだからという部分にぶちあたる。便箋を出してきて、中身を書いて、封筒に詰めて、宛名を書いて、切手を貼って、ポストに投函して始めて終了である。便箋、封筒、切手の買い置きがなければ買ってこなくてはならないし、そもそも今封書の切手代がいくらか私は知らないのである。悪いがこんなに面倒な作業はいちいちやっていられない。電話ならば、相手の電話番号を押して「もしもし」と言うだけだ。郵政省がかもメールやらなんやらといったキャンペーンをやっても一度易きに流れた人間の習性は変えがたい。
しかし、電子メールの普及がこの状況を多少なりとも変えていくような気がしている。慣れない人にはメールを送信すること自体が苦痛かも知れないが、一旦慣れてしまえば電子メールを送るのは電話をかけるぐらい簡単である。相手への意思伝達の確実性を考えれば、忙しい友人達へ不在のために何度も電話をかけ直す事を考えれば、むしろ電話よりも信頼するコミュニケーション手段となってきている。
少なくとも私にとっては電子メールを使い始めて「ふみ」をしたためる回数が増えてきた。毎日最低でも数通のメールを送信しているし、それ以上のメールを受信している。もちろん今までの「ふみ」の様に「拝啓、桜の花の季節も終わり... 敬具」なんて体裁のものでは無いが、文字によるコミュニケーションに回帰したという点においては「ふみ」の時代に戻ったと思うのだ。
「電子メールでは愛は育めないだろう」と言う輩もいるかもしれないが、そんなことは無い。何組も電子メールを使ってやり取りをして結婚までゴールインしたカップルを知っている。それにもともと平安の昔から愛を伝えるのは「ふみ」と決まっていたのだ。電話なんてものはほんの二三十年の代物さ。
電話はインタラクティブであるために語り手の心の深いところにあるものを伝える事が難しい。一番の例は留守番電話である。留守番電話に自分の深い気持をとちらずに伝えることができる人がいたら大したものだ。「ふみ」では送り手が納得いくまで推敲を重ね、凝縮した気持を伝える事が可能である。それは電子メールであってもなんら変わりはない。
文字文化を愛する私としては「ふみ」の復活はうれしいものだ。きっと電子メールを土台にして新しい文字文化が作りだされていくのだろうと楽しみにしている。