199700814 of Yasushi's Life


新聞記事とニュースフィード (August 14, 1997)

最近時事ねたの言いたい放題が少ないなと感じる。なぜだろうかと考えた末の結論は、QUICKのニュースフィードを出張やら業務多忙やらでちゃんと見ていないからだろうという結論に至った。
私の会社の机の上にあるPCにはロータスノーツが走っており、その中のデータベースの一つとしてQUICKのマーケット情報とニュースフィードが入っている。ニュースフィードはタイトルが時系列に沿ってざーっと並んでいて新しいニュースが報じられるとそれがアップデートされていく。そして、タイトルをクリックすれば簡潔な本文が表示されるというものだ。本文と言ってもとても短い、たとえば「**会社が**について発表」と言ったものから、長くてもせいぜい10行位だ。ただし、短いと言ってもニュースに必要な要素はすべてきっちりと押さえられている。

毎日こういうニュースが数百と流れていくのを眺めているわけだが、こういう簡潔な情報提供に慣れてくるとどうも新聞を読む気がしなくなってくる。

新聞記事は当然ながら新聞社側で内容の重要性を判断して記事の大小を決めている訳なので、世間一般で重要と思われる報道が自然と目に飛び込んでくるようになっている。従って何も考えないで新聞を読んでいると、自ずと新聞社の判断するプライオリティーに沿って世の中を見てしまうことになる。自らの思考の停止、私はそれが嫌なのだ。

むしろニュースフィードの様にそれほど濃淡を付けないで情報が流れている中で、アンテナに触れた記事を拾い上げ、自分なりの座標軸を設定して、世の中の見かた、考え方を作っていく方がよほど役に立つ。そもそも新聞で大きく取り上げるようになってからでは既に情報としては陳腐化していると言えるだろうし、陳腐化した情報を得ても何のメリットもないだろう。

新聞のベタ記事を丹念に追っかけることで世の中の次の動きが見えてくると言われるが、それと同じ事だ。人様より半歩先を歩くためには、自分のアンテナを常に鋭敏にしておくことが必要である。

明日からはちゃんとニュースフィードを見ることにしよう。

ページの先頭へ