199700822 of Yasushi's Life


前進 (August 22, 1997)

新幹線に座って東京駅のホームで出発を待っている時に、隣の車両が動き出して不思議な気分にとらわれたことはないだろうか?隣の車両が前に進み出すのを見て、まるで自分が乗っている車両が後ろに下がっているように感じる気持ちである。えっ!と思って良く見回してみると、自分の乗っている車両が止まっていることが確認できてほっとするわけだ。
なぜ突然こんな話をしだしかというと、世の中の動きが相対的であることを述べたかったのである。

ここから一気に話は金融の話に飛ぶことになるのだが。日本版ビッグバンを控え、日本の金融機関はどうやって自分たちが生き延びていくのかを血眼になって模索している。新しい収益源になるビジネスを探し、コストを削減し、行員の能力の活性化を図り、必死の生き残りレースを展開していかなくてはならない。

誰もが一歩でも前に進もうとしている。もちろん踏み出す方向が正しいか、正しくないかは誰も通ったことの無い道であり、答えは誰にもわからない。どうなるかがわからなくとも、自分ができるう限りの最善の判断をし、いずれかの方向に進んでいかなくてはならない。その場に立ち止まり、留まることはレースからの落伍を意味する。なぜならば、誰もが前に進んでいるときに立ち止まっていることは、相対的に見れば後ろに下がっていくことになるのだ。まさに冒頭で述べた感覚と同じ相対的な感覚である。

後ろから火の粉が迫ってくる。立ち止まることは死を意味する。しかし自分が進んでいく先が安全かどうかは誰にもわからない。とにかく前に進むしかないという状況なのだ。考えてみれば、しんどい話である。しかしながら、これが今後の金融業界を取り巻く環境であるし、既にそういう環境はスタートしている。

多くの金融機関のミドル以上の人々、それも本部エリートと呼ばれた人々は、関係者間の調整を行い、全員の意見を汲み取り、失敗をしないように心掛け、競争を生き抜いてきた人たちである。ある意味では、新しい提案を潰し、現状を維持することによって生き残ってきた人種と言える。そういった人々が舵取りをして、上で述べたような状況に対応できるのだろうか?現状を維持することは最初の例にあるように、後ろにさがることだ。彼らにそれが本当に理解できるとは到底思えない。

組織の中だけで通用する議論はもういらない。誰かのメンツとか、役割分担、権限がうんぬんとか、予算措置がどうのこうの。そんな馬鹿げた議論は捨て、それが合法か、それは儲かるのか、それはどういったリスクが存在するのかという事だけを議論すればよい。競争に生き残るための手段だけが議論されるべきであり、必要ならば組織をそれに合わせて変えてしまえばよい。組織の存在意義は、その組織が生き残ってはじめて価値があり、生き残れないような組織ならばそれははっきり言って不要だ。

目の前のビジネスチャンスをつかみ、前進する。これしか無い。目の前に転がっているチャンスを組織論の為に失うことなどはまっぴらだ。そんな組織ならさっさとおさらばした方がよっぽど幸せだ。立ち止まって畳の上で死ぬか、それともドブでのたれ死んでも前に踏み出しながら倒れて死ぬかという選択ならば、後者を選びたい。私は何があっても前に進むつもりでいる。

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