違法駐車 (July 3, 1997)
車を運転すると気がつく。道路の右側車線は違法駐車でほとんど無用の長物と化していることに。
これではまともに道路が機能するわけがない。ひどいところでは、道路を真っ直ぐに走ることすらできない。違法駐車によってどれほどの交通事故が引き起こされ人命が失われているかということを考えたらぞっとする。交通事故だけではないだろう。救急車や消防車が違法駐車によって現場に到達できず失われた人命は相当なものにのぼるはずだ。
もっと恐ろしいことは車を駐めている一人一人はそんなことを考えもしたことがないということにある。「自分一人ぐらい駐車しても別にいいだろう。」という考えで車を駐めるのだろうが、数百万人の人間が同じことをすればそれが社会にとって大問題となることを想像できないのだ。車だけではない。駅周辺に放置されている自転車だって同じことだ。結局自分さえ便利なら、あるいは都合がよければそれで良しということなのか?日本人の社会的責任感の欠如を如実に表す好例だろう。
いや、むしろ日本人には近代的な意味における社会という観念が存在しないと言ったほうが良いのかも知れない。近代における社会の観念は構成員がそれぞれ契約によって社会を造り出しているというものだ。その契約は法律であり、倫理であり、かつまた常識である。
日本で起きている出来事を凝視してみると、こういった契約をはなから無視している、あるいは自分は契約当事者では無いと言った態度を裏付ける出来事があまりに多いことに気が付く。違法駐車はあくまでもその一例で、大手の上場企業の役員達は自分達の地位が守られるのであれば反社会的集団と手をつなぎ、法律なんてなんとも思わないし、酒が入って酔っ払って別人の様になる素面では大人しいサラリーマンは巷に溢れている。ゴミ捨て場には回収日以外に出されたゴミが投げ捨てられて異臭をはなち、本来自分達の代表者を選ぶべき選挙では投票率は50%を下回る。
それでも日本人は日本が文明社会だと信じて疑わない。まったくおめでたい話しだ。