シャトル外交 (July 12, 1997)
新潮社文庫から出版されている「シャトル外交 激動の4年 上・下」を読み終えた。
アメリカのブッシュ政権の国務省長官(日本で言えば外務大臣)を勤めたJames A. Baker,IIIの回顧録である。原題はThe Politics of Diplomacy: Revolution, War & Peace,1989-1992となっている。
この原題にある期間を見ると、冷戦体制の終結、天安門事件、東西ドイツの統合、湾岸戦争、中東和平会議、ソビエト連邦の崩壊とそれに続く東欧の混乱といった激動の時代(陳腐な言葉ではあるが..)であることがわかる。その期間を超大国であるアメリカの外交担当のトップがどのように考え、いかに行動してきたかを自らの手で語っているこの書物は、実在の登場人物の人物像を楽しみながら、世界の動きをおさらいできると言った点ではお薦めである。
個人的にも89年から91年は米国に滞在していたので、本書で語られる様々な出来事が留学中にドイツ、イスラエル、ユーゴスラビア、中国などの国からの留学生仲間達と語りあった自分の体験とクロスオーバーして思いだされて、楽しめた。
さて、この本を読み終わった時に1つ気が付いたことがある。それは日本の事が全く書かれていないことだ。トータルで1,400ページ近いこの本の中で日本に関する記述はせいぜい2、3個所しか出てこない。それも政治家個人の名前は出てこないし、Bakerが複数の西側諸国に電話した中の1つとして日本の名前がついでに挙げられているだけである。そのトーンも日本と西ドイツ(当時)は湾岸戦争で派兵しないので、アメリカ議会では文句の嵐だから、沢山お金を払えと要求した、といった傍論の中での登場だ。本書はBakerとそのブレーンであった当時の国務省スタッフが編纂したのだろうから、彼の在任期間中も日本についての認識は本書の記述程度であったと見るのが正しい見方であろう。
彼の日本に関する記述の程度から2つの考え方が導かれる。1つは、良く言えば日米関係は極めて安定しているので、特に「外交」と言った本書の中心コンセプトを必要とするような事態は起きなかったと見る考え方。ネガティブに言い換えれば、日本はアメリカの言うことを何でも聞いたので「外交」交渉は必要なかったとする見方。もう1つは、日本は世界の激動の中でなんら重要な役割を果たしていなかったので、アメリカの国務省長官としては言及する必要も無かったと見る考え方である。
どちらにしろ、GNP世界第2位の国としてはなさけない話と言えよう。USTRの代表者が回顧録を書けば、日本のことは沢山話題になっただろうが、国務省長官の回顧録だからしょうがないと諦めるだけか?そういうものでもないだろう。もし日本の外務大臣が似たような回顧録を出版したら(まあ、そんなもんを書ける外務大臣はいるとは思えないが。)きっとアメリカの事ばかり書いてある書物になるはずなのに...
本書の中でBakerは繰り返し彼の外交に対する考え方を述べている。それが端的に表されている部分を若干長いが引用してみたい。
Politics(選挙運動などに限定されたものではなく、広い意味で)とPolicyは分かちがたく結びついている――を改めて実感する。政治という形を通じてのみ、私たちは信念を政策に変換することができる。とくに地政学においてはこれが顕著である。・・・私はクラウゼヴィッツ(プロイセンの軍人・戦史家)の考え方には賛成で、革命や戦争が起ころうと平和時であろうと、外交はあくまで政治の延長線上にあるものだと考えている。 (太字による強調は筆者による。)
上記の引用に示される彼の外交への考え方、ならびに彼の著書における日本への言及の程度から結論付けられるアメリカ元国務省長官の日本政治への認識は、大多数の日本人が持つ政治認識とさほど異なっていないことが確認できた事を以て、日本における本書の価値と考えるのが妥当なのだろう。