それぞれの視点 (June 9, 1997)
週末に那須高原に旅行に出かけた話しを「言いたい放題」に書き込んだが、一緒に出かけた仲間のうちホームページを持っていて、日記もどきを公開している何人かが同じ話題に関する書込をしている
しばらく前にホームページオーナーの会に参加した時や、伊藤師匠達と西麻布で地中海料理を食べた時も今回と同じような状況となっている。
普通の暮らしでは、前の日に同じパーティーやら会合、旅行に参加した人と会った際には「昨日はどうも、おつかれさまでした。なかなか楽しかったですねぇ、またやりましょう。」といった程度の挨拶で終りである。多少内容について話しをしたとしても、それほど突っ込んだ話をする訳ではない、あくまでverbalな会話の中でのやり取りに終始し、相手と自分の認識を比較するといった機会はほとんどない。
しかし、これがホームページの世界では全く違ったことが起きるのである。共通のイベントの参加者がそれぞれの視点から体験した事をリアルタイムと言わないまでも相当ライブな状態で文章でまとめてアップロードしてあるのだ。これは参加した当事者としてはかなり興味深い。
ほぼ共通の体験というインプットから全く異なったアウトプットが生まれてくる。書き手それぞれの思考、興味、意識と言ったものを、彼らのアウトプットと私自身のアウトプットとの比較によってつかむことができる。共通の体験という電波を発信して、それについての日記という反射電波を捉えて位置確認をするレーダーとでも言おうか。こういう手段で無意識の内に思考の擦りあわせしているので、久しぶりに会っても違和感がないのだろう。
また、当事者だけでなく読者の立場から見ても面白いだろう。有名な例では芥川の「薮の中」という短編で、一つの出来事をそれに関わる者それぞれの視点から捉えている。ホームページ上の日記は芥川ほどの文学作品ではないが、比較して読むことによって人の持つ意識というフィルターをかなりはっきりと感じることができるのではないだろうか。是非ともお試しいただきたい。