19970617 of Yasushi's Life


Dreamer (June 17, 1997)

わたしの仕事は海外不動産ローンのワークアウトである。なぜしばしばハワイに出張しているのかというとバブル時代に多くの日本の投資家がハワイに不動産投資を行い、それのクリーンナップを行っているからだ。

多くの投資家が様々な夢を見て不動産開発に取り組んできた。そしてバブルがはじけ、兵どもが夢の後となっている。

そういうトラブルに陥った案件を見ていて常に思うのは、彼らはとてつもないDreamerだなということだ。ハワイで言うところの大規模開発というのは日本のスケールでは到底想像もつかない巨大さである。それこそワイキキと同じぐらいの広さの原野を平らにし、上下水道、道路、電気、ガスなどのインフラを整備し、区画割を実施し、建物を建てて分譲していく。場合によっては関連施設として商業地域へのショッピングセンターなどの誘致、ゴルフ場、公園、緑地帯などの開発も付帯事業として行う。言うなれば全く何も無いところに一つの新しい街を作り上げる作業が大規模開発である。

開発が頓挫した用地を見に行くこともしばしばあるが、一面の荒れ地を目の前にしてどうしても私はそこに開発された後の街の姿をに浮かべることができない。どんなにがんばってみても私の目に映るのはただの荒れ果てた土地である。しかし、彼らが開発投資を開始したときには彼らの目には開発が終わった後の美しい町並みが間違いなく映っていたはずだ。

たとえどれほど精緻なキャッシュフロー計画をたて、様々な許認可に伴う法的な問題をクリアーする能力を持ち、現実にプロジェクトを推進していくことが自分に可能であったとしても、始めに描かれる壮大なグランドデザインなしでは自分の能力を活かすことができないという事実を痛感させられる。

批評家達は自らの身を安全な場所において、バブルで失敗した投資家たちのことを無鉄砲だったとか、身の程知らずだったと痛烈な批判を浴びせているが、果たしてそれだけが事実であろうか?壮大な夢を持ち、それを実現すべく前に進んだことをそんな簡単に評して終われるとは思わない。企業という人の集団が前に進むためにはそこに人の気持ちを高ぶらせ、鼓舞する誰かが必要である。そしてその者に必要な素養はDreamerであり続けることではないか。

バブルの崩壊という不運に見舞われてしまったために多くのDreamerたちの夢はハワイで原野のままその屍をさらしているが、彼らが私たちに見せつけてくれた狂おしいまでの夢への希求は日本の企業に今欠けている何かなのかもしれない。

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