19970326 of Yasushi's Life


引越・・・日本の行政 (March 26, 1997)

私の実家は静岡県浜松市にある。その実家が都市計画の対象となり取り壊された。私が生まれてから東京の大学にでるまで毎日を過ごした家、そして私の家族の今までの歴史を刻んだかけがえのない家であった。

92歳になる私の祖母は、移転先の仮設住宅が2階建てのため一緒に移ることを断念し、40年以上も慣れ親しんだ家を離れ伯父の家へと移ることになった。

庭でいつも涼しい木陰を作っていた桐檀の木、私が生まれた時に植えられ私と供に育ってきた桐檀の木は無残にも切り倒された。

私が子供の頃からいつもその実のなることを楽しみにしていた枇杷、無花果、八朔、キゥイの木も切り倒された。美しい華を咲かせてくれた薔薇、李の樹も切り倒された。

庭をわがもの顔で走り回っていた吾家のシャム猫は移転先では外に出られず夜毎啼いている。

学生数1,200人の4年制大学を作ることが私の家が取り壊された理由である。

私は都市計画を否定はしない。もしそれが本当に市民に意義のあるものであれば。浜松市の行政は言う「学園を中心として新しい希望を持った町作りを市民は望んでいるのです」と。行政は更に言う「ハーバードのあるケンブリッジや国立のような文化の香りのある学園都市を作るのです」と。

浜松市の行政はバブル時代に計画した第3セクター方式によるアクトシティーという名の超高層ビルという大失敗作を目の前にしながらも、同じ過ちを繰り返しているのである。このビルが建設された時にも「文化のある街」を目指すべく、ビルには音楽ホールが作られ、米国の有名な音楽学院の日本校の誘致を計画したが、誘致は無残にも失敗に終わり、バブル崩壊によりビル運営は不振にあえいでいる。

こんな愚かな世迷い言で私の家が取り壊され、私を含む私の家族の心が痛んだのかと思うと深い憤りを感じる。1,200人の4年制大学を作ることが人口50万人の都市にどれだけの意味を持つのか?もし真剣にこんなことで学園都市を築く事が可能であると信じているのであれば、それは大馬鹿者である。総学生数1,200人の新設単科大学をハーバードあるいは一橋大学と同列に扱った都市計画を立案した愚者の顔が見てみたいものだ。

日本の行政は土建屋に大盤振舞をして土木工事をすることが行政であると信じ、政官一体となって戦後50年間を突き進んできた。確かに戦後の復興期から高度成長時代においては社会インフラの拡充を図るこの手法は有効に機能したかも知れない。

しかしながら、高度成長が過去のものとなった今、行政の手法も時代の変化と供に変革を遂げなくてはならない。器を作ることを重視する土建屋行政を脱却しなくてはならない。行政による受益者は公共工事の受注先ではなく、市民なのである。

行政はもっと謙虚にそして真摯に市民が何を望んでいるのか、市民の心の痛み、悩みを理解し、公僕(public servant)としての本分を全うすべきなのである。

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