19970330 of Yasushi's Life


群読 (March 30, 1997)

友人が舞台に立つというので新宿の朝日生命ホールまで出かけていった。

舞台と言っても普通の芝居とはかなり違うものが今回の演目である。「喋り」を職業とする声優、ナレーター、落語家、アナウンサーなどが集まり高村光太郎の智恵子抄を中心とする作品を読みあげる舞台である。単なる朗読とも異なり、弦楽器を中心とする演奏や和太鼓なども絡み合ってとても興味深い世界を作り上げていた。

出演者は自らの「声」のみを引っ提げて舞台に登場するわけである。逃げも隠れもできない自分の「声」で勝負する様はとてつもなく残酷であった。主演級の演者の圧倒的な「声」の魅力がその他大勢の出演者の「声」を覆い隠してしまうのである。

最も魅力的であったのは池田昌子である。彼女は銀河鉄道999のメーテル役をはじめとする大変有名な声優であるが、PAの限られた周波数帯域を通じても彼女の声はある時は幼女の様に純真な音色を、またある時は蠱惑的な音色を醸し出す。「声」だけでそこに一つの世界を作り上げ、観客を吸い込んでしまう。出演者総出の朗読でも、彼女の声が一本の明るい光線の如くに耳に飛び込んでくる。

天賦の才能と精進、この2つが今の彼女の「声」を支えているのだろう。このどちらが欠けても彼女の「声」は存在しないはずだ。才能だけで作りだされるものでもなく、精進だけで作りだされるものでもない。才能を持った者が不断の努力を積み重ね到達した高みにある「声」の美しさはまばゆい光のようである。

それと同時に舞台に立っている友人の事を思った。

私は彼女に才能があるのか否かを見極める術を持たないが、彼女が高みを目指して歩き始めたばかりであることは確かである。

素人の私が感じる以上に、喋りを生業とする彼女は同じ舞台の上に立った池田昌子の「声」が明るく照らす高みへの道の長さを痛感していることだろう。多分その道は険しい道だろうが、途中で挫けずに最後まで歩み続けてほしいと心から願っている。

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