19970512 of Yasushi's Life


FF7は人生の縮図? (May 12, 1997)

社会現象にまでなったファイナル・ファンタジー7についてである。

実際にやった人にはわかるのだが、このRPGはワールドマップと様々な街とその中でのイベント、それからバトルシーンで構成されている。主人公を中心に総勢9人のキャラクターがマップの中を旅し、街に立ち寄っては色々な経験を積み、敵のキャラクターと戦って成長し、最後に旅の究極の目的を目指していくというゲームである。

3Dポリゴンによるキャラクターデザインといい今までのRGPの常識を覆す出来のソフトである。唯一の難点?と言えば、ある程度のレベルまでキャラクターが成長していくとバトルシーンがルーティン的になってしまうところだろう。特定のボタンを押し続けていれば大抵の場合には自動的にバトルが終わってしまう。

実際のところ様々な街での派手なイベントやら宝物探しとこういったお決まりのバトルシーンの量を比較すれば、圧倒的にバトルシーンの方が多いのだ。

但し、この多少たいくつなプロセスを経なければキャラクターのレベルは成長して上がっていかない。このゲームを進めていくためにはたいくつなバトルシーンは必須の作業であり、これを乗り越えないとお楽しみのイベントには出会えない。ただしたいくつなのであんまりいい加減にしていると不意に強敵が現われて全滅させられてしまう。

こういう話ってどこかで耳にしたことありません?

私達の普段の仕事ってこんなもんじゃないかな?そうそう毎日派手な取引が行われるわけでもなく、大抵の場合黙々とある意味ではつまらない仕事を積み上げている。しかし、そういった積み重ねがなければ、たまにあるイベント的な取引や仕事、あるいは昇格、昇進にも出会えないわけである。更に、ルーティンをいい加減にやっていると突如として落とし穴にはまって大失敗をしてしまったりする。

そう考えるとバトルシーンが単調になっているのは、クリエイター側がプレーヤーに人生を学ばせるために敢えてそうしているともとれる。たかがゲーム、されどゲーム。FF7は勤め人人生の縮図なのだろう。そしてそれ故に20、30歳台のサラリーマンに売れてしまったのかも知れない。

毎日ロイター画面を見ながら、勝ったり負けたりしているのは丁度FF7をやっているようなものだ。ディールで儲けると3Dキャラクターが画面に登場し「パンパカパーン」なんて言って両手を挙げて自慢すればまさにFF7バトルシーンそのものである。

そうなるとアービトレーションのマテリアとか持ってるとドル資金を円転してコールにぶちこんでチョビチョビ儲けたりしたり、オプションのマテリアとか持っていると為替がぶれてストライクプライスの山にぶちあたるとドッカーンと爆裂するとか。スワップのマテリアではコツコツ儲けるとか。JGBのマテリアなんて勝てば大勝ち、負ければボロ負けのどちらかしかないとかね。TOPIXのマテリアとか日経ダウのマテリアなんてどうなるんだろう?もっと質の悪いのは買取機構持ち込み債権のマテリアとか未収不計上債権のマテリアとかなんだろうなぁ。債権償却特別勘定引当済み債権のマテリアなんかも結構重たいかも知れないし、死の宣告攻撃ものだなこれは。

しまいには召喚獣さかきばらとかが相場を吹き飛ばしたり、召喚獣グリーンスパンとか出てきて利上げ魔法をつかったり、召喚獣なかぼうとかがウルティマウェポンの破産申立攻撃したりするようになるのだろう。

こういったマテリアを一杯集めて成長させてfinanceのプロになっていくのだな。ああFF7は人生と相場そのものである。

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