バンカーへの信頼 (May 20, 1997)
今日東京地検が第一勧業銀行本店の家宅捜索を行った。
都市銀行に対する家宅捜索は極めて異例中の異例である。野村證券の総会屋利益供与疑惑に端を発し、疑惑の中心である企業に対して融資を行っていた第一勧業銀行にも捜査の手が伸びたという訳だ。
新聞報道によれば、融資は担保不足の状態で行われ、貸出のほぼ全てが既に間接償却されていたということだ。どう考えても尋常な話ではない。普通の人が聞いても「なんだそりゃ?」と思うような話しであり、当然ながら融資を行った融資担当者、もちろん融資のプロだ、は融資案件が持ち込まれたその場で怪しい話しであるということには気がついたはずである。
しかし何らかの理由、所謂経営における高度な政治的判断という代物だろうか、によって融資担当者は融資をせざるを得ない状況に至ったのだろう。融資担当者として、明白に回収できないとわかっている金を融資せざるを得ない状況に追い込まれるという事が、どれ程の耐えがたい苦痛を引き起こし、そしてまた職業人としての矜恃が踏みにじられることであるか、私もローンに関わる仕事をする人間の端くれであり想像には難くない。
多くの預金者の方々が大事なお金を預金してくれるのは、バンカー、言い換えれば銀行員あるいは銀行という組織そのものが、預かったお金を運用する個々の融資判断においてベストを尽し、元本回収の妥当性を納得した上で融資を行っているという信頼があるが故である。そして同時にバンカーとしての職業上の矜恃はその信頼に応える事によって守られてきたものである。
バブルの崩壊による不良債権の発生により、既に銀行全般に対する預金者の信頼はゆらいでいたし、職業上の矜恃を全く持たないバンカーがトップから担当レベルまで多数存在したという事も世間の知るところとなっていた。しかし、今回の事件は銀行の社会的信頼を完全に打ち砕く出来事であり、更に言えばその存在意義をも完全に否定する出来事である。誰も総会屋に利益供与するための資金に回ると思って預金などするわけがない。
一体どのような経緯で融資が行われたのかは今後の捜査によって明らかにされていくことだろうが、その融資を行わせるべく経営として関与し、判断を行った者は絶対許されるべきではない。商法の特別背任罪だろうが利益供与だろうが、ありとあらゆる罪状を以て逮捕し、有罪に追い込み、加えて株主代表訴訟で発生した損害を請求し、社会的、刑事的そして民事的にも自らの行為を償わせる必要がある。社会の銀行に対する信頼を完全に失わせると共に、自らがバンカーでありながらも実際の融資を担当した部下のバンカーとしての矜恃を踏みにじった罪は重く、償いも決して軽いものであってはならない。
銀行業界に身を置くものとしては本当に辛くせつない一日であった。