反省だけなら猿にもできる? (May 30, 1997)
野村證券の元社長が商法、証取法違反容疑で逮捕された。国会参院参考人召致で「違法取引に驚愕した」と言い切り「個人ぐるみ」という新しい言葉を産み出した人だ。
有罪の確定判決がでるまでは推定無罪の原則が働くので、この元社長の容疑に関するコメントは差し控えたい。しかし世界に名を轟かす日本の証券界のリーディングカンパニーの社長、即ち企業トップの行動としては決して許されるべきではない行動をしてしまったのは確かである。李下に冠を正さずという言葉がある。疑われそうなことはしてはならないということである。
容疑が有罪、無罪のどちらであろうとも関係ない。反社会的な集団に対する利益供与に組みしていた容疑で逮捕された時点で企業人としての生命は終りを告げたのである。酒巻容疑者は市民の大多数に証券市場への不信感をうえつけてしまった責任から逃れることはできない。
更に問題を深刻にしているのは酒巻容疑者が損失補填問題を引き起こしたときに組織の浄化を掲げて社長に就任していたという事実であろう。91年の時点で酒巻容疑者は組織の見直し、企業倫理の徹底を公約したが、それは言葉だけに終わってしまった。この様な現実を目の前にして、今回の事件にあたって野村證券の新経営陣が述べている対応策を額面どおりに受け取ることはできるだろうか?そんなにお人好しばかりではない。
以前にも「言いたい放題」に書いたが、こういった経営陣の不正行為が頻発するのはコーポレートガバナンスにある構造的な問題が理由だろう。相互牽制、CHECK AND BALANCESを企業経営に取り入れなければ必ずこういった事件は再発する。
野村證券が2度にわたって踏みにじった人々の信頼を回復するためには、コーポレートガバナンスの仕組みに本格的にメスを入れ、社外取締役の登用、業務執行者制度の導入など抜本的な対策を打ち出す以外にないはずである。しかし現時点で氏家新社長は社外取締役の導入に消極的な姿勢を示している。「社外取締役が、社内の事情や整合性などから全く外れて、自由に自己の見識、良識に基づいて判断でき、取締役会に違ったものの見方を持ち込むのが本来の役割であるなら、そういう機能を果たす人はすでにひとりいる」と述べている。
現実に社外取締役がいながらも今回の事件の発生を防ぐことができなかった訳であり、その事実を厳粛に受けとめた形跡は全く見えない。既存の組織体制を温存する意図に溢れており、全く反省していないと糾弾されても返答の余地はないはずだ。
今のままいく限り、2度にわたる不祥事を引き起こした野村證券の体質は変わることはないだろうし、同社が日本の証券会社のリーディングカンパニーに留まる限り、内外の投資家が日本の株式市場を見る目は疑念に満ちたものであり続けるだろう。