1997000908 of Yasushi's Life


市場不介入 (September 8, 1997)

このところアジア金融市場はshaky shakyである。ドルペグは吹っ飛び、各国通貨はよれよれで、株式市場も急落している。マレーシアなどは政府首脳が「投機家ゆるさーん」と大騒ぎしたりしていた。
そんな中で中国への返還なった香港株式市場の動きは大変興味深い。8月28日から急落したハンセン指数は瞬間的に17%安の水準まで下落したが、今日現在で5%安の水準まで戻ってきている。当然それぞれの国のファウンダメンタルズもあるので一くくりにして話すことは危険だが、SAR(香港特別行政区)政府首脳が口先介入すらしないで市場不介入を貫いたことを海外の投資家が好感したという要素は無視できないように思う。常に市場原理に沿った自由な市場が維持され、さらにそういった自由な市場を維持しうる市場と経済への深い信頼と強い自信を多くの市場参加者が感じ取ったのであろう。右往左往した某国の緊急銘柄別取引規制などとは全く異なったアプローチである。

何であれ困難な局面で何も言わずにじっと成り行きを見守るというのはしんどい話だ。それができるのは、信頼と自信による裏打ちがあればこそなのだろう。そして困難な局面を乗り越えた後には信頼が更に深まる。

金融市場だけでなく人間関係だってそうだ。親しい誰かが苦しい状況に置かれた時に何も言わないで見守る事はなかなかできることではない。つい手を差し伸べたり、暖かい言葉をかけようと思ってしまうのが人情である。しかし本当の信頼があれば、あえて何もしないでいるという選択がありうる。もちろん、ほったらかしにする無責任な態度とは違い、見守りつつあえて不作為を選ぶわけで、むしろずっとつらい選択なのだ。

日本における様々な問題は、これを忘れてしまっていることに端を発しているように思うのは私だけだろうか。

親と子の関係、友人と友人の関係、会社の上司と部下の関係、市場を監督する当局と市場参加者の関係。何でもすぐに優しい言葉や手助けが出てくる。確かに今は「やさしさの時代」かもしれない。でも、優しい言葉や思いやりも表層的で、実は裏を返せば本当の信頼が存在しない現われではないだろうか?

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