夏休み (September 22, 1997)
夏休みということで、実家に戻ってネットから離れてのんびり暮らしていました。その間「言いたい放題」もお休み状態でした。まあ生命線であるメールだけは最低限チェックしてましたが、返事が遅くなったりしてご迷惑をおかけしたかもしれません。
その夏休みですが、残念ながらもう終わりが近づいてきており、思わず出社拒否症になってしまいそうです。
久しぶりの実家では家の建替えの話などがでたこともあり、自分の今後の人生についていろいろと考えてしまいました。やはり日本の地方都市の暮らしは東京に比較するとはるかに豊かです。渋滞もないし、通勤ラッシュもない。家だって普通に手が届く価格でそれなりのものが建てられる。巨額の住宅ローンに四苦八苦する必要も無いし、子供だってのびのびと戸外で遊んで暮らせる。高校の同級生なんかの暮らしを見ていると、とてもうらやましいと感じてしまいます。残念ながら東京の生活は地方出身者の私から見るとunusualです(と言いつつも東京で暮らしているわけですが)。
30歳を過ぎてから、実家に帰るたびにいつ東京におさらばしようかと考えるようになっています。もちろん東京の暮らしはexcitingです。極端な事を言えば、何もかもが東京に集中している。日本の情報だけでなく、世界全体から見ても東京はとても重要な拠点の一つです。そういう場所で仕事をすることに魅了されないと言えば嘘になりますが。でも、家族ができたら、もっと環境的に豊かなところで余裕を持って暮らし、のびのびとした生活スタイルを追求していきたいと思っています。たとえば、自宅の庭では子供が誰に気兼ねなく思いっきり走り回れて、週末には友人達が集まってその庭でBBQをしたり、たき火をしたりして暖かい時間を過ごす。私の実家であればそれは特別なことではなく、当たり前のことなのです。でも、それを東京で実行するには相当な困難が伴います。
得られるものと、失っているもののバランスがすこし崩れつつあるように感じています。そろそろ自分の生まれ育ったところへ戻る算段をする必要があるなと思う今日このごろです。
夏休みでホームページを離れているうちに、ホームページのありかた、書かれた文章のあり方などの議論がされていたようですね。断筆宣言をされた方までいてびっくりしました。
言葉は人と人とをつなぐ架け橋だと思っています。その橋が時にうまくかからない事もあるでしょう。自分の差し出した方向と、相手が受け入れる方向が微妙にずれている結果なのかも知れませんし、どこにもかからない橋を一人よがりに繰り出そうとしているの結果なのかも知れません。あるいは相手がこちらの橋を受け入れるつもりがないということかもしれません。
どういった方向に橋を差し出そうとしているのか、どういった橋を受け入れようとするか、という部分は各々が持つ考え方ですから、そもそも見当違いな方向を向いた橋を無理矢理つなぐことはできません。
しかし、お互いが橋をかけようと思っているにもかかわらず、橋の差し出し方と言った部分のずれで架け橋ができないという状況は克服しなくてはなりません。それは言語活動においては、表現方法の巧拙なり、言葉の選び方と言った部分だと思います。
文字によるコミュニケーションを模索する以上、この部分は常に研鑚を積む必要があると感じた次第です。