1997000924 of Yasushi's Life


暴走タクシー (September 24, 1997)

11日間も休暇をとると机の上には4、50センチもある書類の山が積みあがっており、ぞっとしました。PCを開けるとメールもぞろぞろと・・・なんとか電話やメールを送ったり、ファックスやら書類も読み散らかして片っ端から片付けましたが、さすがに疲れます。
NORIKOさんとちょっとした打ち合わせをかねて夕ごはんを食べ、その後は銀座のとあるバーへ移動し、2台のノートパソコンを取り出し、日記友達のHPをざっと一回り。知らない人が見たらとんでもない2人組ですよ。階段を昇って息をきらせてカクテルを注文したとたん、パソコンを開いて、PHSの電波状況をチェックし、ピーと音をたててインターネットへアクセスして、その場でメールの返事を書いて送信したりしてるのですから。風流な「月の庭」のベランダでデジカメ画像をインターネットにアップロードしている方のことを茶化せる立場ではありません。

内藤さんも無事日記掲載を復活されましたね、おかえりなさい、お待ちしておりました。私のフロントページのことをほめてくださって、とっても嬉しかったです。田中康夫氏のこともフムフムと思って読みました。やはり私たちは同期だけありますねぇ。

そんなこんなして家路についたわけですが、久しぶりの出社でちょっと疲れていたのでタクシーに乗って銀座から行徳にある自宅まで帰りました。そこで乗ったタクシーがすごかったのです。なんと、銀座で乗り込んでから自宅前に到着するまでわずかに14分。多分これ今までの最短記録だと思います。

首都高速に乗るやいなや、おそろしい加速。レインボーブリッジ、湾岸線経由だったのですが、スピードメーターは170キロ以上出ることもしばしばで、湾岸線の3車線を縦横無尽に疾走するはめになりました。私はあまりの恐怖に後部座席で凍り付いたようになっていたわけです。乗ったのは普通のタクシーではなく個人タクシーだったので、車は大排気量高級セダンですから目茶苦茶にゆれたりすることはなかったのですが、それでも170キロというのは尋常ではない。なんで金を払って、こんな恐い思いをして、さらに事故にあう確率が高いといった状況に身を置かなくてはならないのか。こう思ったのは、料金を払い車をおりてしばらくして我を取り戻してからで、完全に後の祭り。

走り去っていくタクシーの後ろをふと見ると、強化エグゾーストパイプが印象的でした。

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