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日本の高等教育


毎年正月に実家に帰省すると必ず顔を合わせる友人が2人いる。

1人はパイロット、もう1人は医師である。私を含めた3人は偶然にも3人ともアメリカで生活し学んだ経験を持っている。久しぶりの酒を呑みながら「アメリカ暮らしをしたことがあるのが3人も集まるってのも珍しいよな」などと話をしていた。

3人とも日本では得られない教育を受けるためにアメリカに行ったわけであるが、よく考えてみると寂しい話だ。

もちろん個人の視点で考えれば、自分の生まれ育った国以外で生活をし、教育を受けた経験は大変有意義なことであり、それぞれの人生にとっても大きな影響を与えている。

しかしなぜ日本の高等教育機関でなかったのか?3人とも語学を勉強しに行ったわけではないのだから、もし日本で同じような教育が日本語で提供されていれば、そちらを選ぶのは当然なのだが、現実はそうでなかった。わざわざアメリカまで出かけて英語で教育を受けるという選択をしたわけだ。

アメリカの高等教育機関(大学院、研究所など)は日本のそれに比べて大変オープンである。社会経験を積んだ人間が更なる教育を求めることを積極的に受け入れている。研究者も象牙の塔に閉じこもること無く現実の社会と行き来し、ビジネス、政治などの現場で起きていることを吸収し、再度研究の場に戻りそれを研究の糧とする。こういったことが当たり前のこととして行われている。

振り返って日本では、大学院の社会人入試がここ何年か整備されつつあるが、いまだ十分とは到底言えない水準である。講師陣などの顔ぶれを見ても実業の世界の人間が教鞭をとることにはそれほど積極的であるとは思えない。

もちろん終身雇用制に固執する企業側が教育を内製しつづけてきた社会的な状況が、高等教育機関と実業界の人のやり取りを阻害してきたことは否定できないが、教育機関側にもその状況を打破し、本当に高等教育を受けることを望んでいる人を惹きつけようとする努力が圧倒的に不足していたと思う。夜間制の大学院や奨学金の整備、外部講師の積極登用など打つべき施策はたくさんあるだろう。多くの大学院で留学生がかなりの量を占める一方で、日本人がアメリカへと高等教育を求めて留学するという状況は何か不自然である。

国の繁栄の確固たる基盤を作る要素の一つは十分な高等教育の提供であろう。その点において日本は劣っているといわざるを得ない。

今後終身雇用制が崩壊し、労働力の流動性が高まっていけば、いったん社会に出た後再度高等教育を求めるニーズはますます高まっていく。このニーズを受け止め、それに応えることが今の日本の高等教育機関に求められているはずだ。