戦いのフィールド
January 6, 1998
会社のとある人と人ゲノムプロジェクトの話をした。
人ゲノムプロジェクトのことをご存知無い方もいらっしゃると思うので、プロジェクトの中身を説明すると、人の遺伝子の塩基の並び方データをすべて解析してしまおうという遠大なプロジェクトなのである。一つの国では到底できないので、世界各国がそれぞれ担当する区画を解析して、それが全部終わると最終的には人の遺伝子の全貌がつかめるという話だ。
どうもこのプロジェクトをめぐって最近アメリカの動きが不穏なのである。人類の英知の結集ということで、世界各国が協力して作業をしているにもかかわらず、しばらく前には既に解析が終わった部分の内容を利用した機能について知的所有権をアメリカ政府が認めてしまうという事態が発生した。
更に、アメリカでこのプロジェクトに関わっている団体に、かのBill Gates氏が資金提供をしているのである。人ゲノムプロジェクトの結果はデータ化されるわけであるが、どうやらこのデータをハンドルするソフトウェアにおけるデファクトスタンダードを握ってしまおうという考えがちらちらと覗く。データはデータそれ自体では何の価値も生み出さず、それを解析するツールがあって初めて意味がある。ということは、ツールを握ったものは笑いが止まらないはずだ。
このBill Gates氏、最近では司法省と裁判沙汰をしているが、パーソナルコンピューターのOSの世界では一大帝国を既に築き上げている。そこからの儲けで世界中の美術品などをデジタル化する権利を買い漁っているというのも有名な話だ。その一環として百科事典ソフトをCD-ROMで売り出し、エンサクロピーディアといえば家の飾りという概念を根底から覆してもいる。もしこれが更に普及していけば、教育現場に深く浸透していくだろう。うがった見方をすれば、人の智の集積である百科事典を支配し、若い世代の「知」への第一歩に大きな影響を持つことが可能だという見方もできないわけではない。
さて、ここで日本の株式市場、金融市場に視点を移してみよう。
昨年末に連鎖的に起こった金融機関の破綻に端を発した日本の金融システム不安は、もちろん日本の金融機関の不良債権処理が遅々として進まなかったことが最大の原因ではあるが、その引き金を引いたのは信用不安の噂のある金融機関の株価の急落である。その際に大きな役割を占めたのが外資系金融機関の空売りとそれに続くS&P、Moody'sという格付け機関の2大巨頭のクレジットウォッチ、格下げ発表である。更に、日本の金融機関による外貨資金(特にドル資金)の調達はジャパンプレミアムによって苦しめられ、円安も加速している。
そんな状況の中、日本の金融機関に対して米系投資銀行は不良債権の一括売却スキームを売り込みに来ている。不良債権の額を圧縮したい日本の金融機関はなりふりかまわず本来の不動産担保価値から大幅な値引きをして不良債権を売却しようとしている。これを買った投資家達は資金回収をはかるべく不動産の売却に取り掛かるはずである。彼らは日本の不動産市場の中で極めて大きなプレイヤーになっていくだろうし、そのプレゼンスを利用して従来の日本の不動産取引慣行を彼ら流のやり方へと変えていくように動いていくはずである。
更にその次のステップとして彼らは、不良債権を源資産としてアセットバックセキュリティーが発行し、その市場を創り出し、マーケットメイクすることによって莫大な利益をあげ、更には不動産ファイナンスをコントロールすることも目指していくだろう。
またアメリカで創り出されたヘッジファンドと呼ばれるようなスペキュレーター達は為替、株式、金利などの金融取引を通じて世界を動かすような状況にまでなってきている。同じような資金規模を持つ日本の生命保険ファンドが日本の株安で損を抱え、長期トレンドから見た円高で為替差損を被っているという状況に比べると驚くべきことである。
人ゲノムプロジェクト、コンピューターOS、デジタル百科事典、金融市場の動き、こららに共通することはなんだろうか?それはすべてアメリカによってベースとなるルールが規定され、日本はそのルールに従って試合をしているということだ。戦いのフィールドはルールを創り出したものが有利に決まっている。
なぜ、日本の企業、日本の政治、行政は自ら戦いのフィールドを作り上げ、その中で有利に戦うという戦略を持たないのだろうか。とても哀しい話である。日本の技術、日本の富は世界で最も力を持っても良いはずである。それが最大限活用されていないのは、戦略、ビジョンというものが欠落しているからだ。不景気、金融不安などという見えない亡霊におびえ、自信を喪失して萎縮しているのは愚かである。
自らの力を信じ、旧弊を断ち切り、リスクを恐れず、知恵を結集し、戦いのフィールドを創り出す気概を持って前へ進む道を選択しないで、どこへ行こうというのだろうか。