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ナショナリティー


長野冬季オリンピックがはじまった。これからの16日間は、普段よりも日本の国旗を目にしたり、君が代を耳にする機会は普段よりも増えるだろう。

最近とみに日本人としてのナショナリティーについて考える機会が増えた。どうも日本ではナショナリティーについて言及すると「あいつは右翼だ」とか思われる傾向がある。もちろん太平洋戦争前に軍部が天皇を頂点とする国家体制を悪用して、誤った戦争を引き起こしたのは事実である。しかしそれ故にナショナリティーについて過敏ともいえる反応が日本の社会の中に存在することもこれまた事実であるように思う。

私の考えは「インターナショナルであるためには、自らの立脚点であるナショナリティーを明確に認識する必要がある」というものだ。

正直なところ今の日本はとてもお寒い状態だ。金融システムはぼろぼろになり、景気は冷え込み、株式市場は外国人投資家の動向に左右され、これまで日本の繁栄を支えてきたと信じられていた官僚システムはその腐敗ぶりを露呈し力を失っている。さらにそういう状態にありながらも、政治家は自らの議席や所属政党の権勢の確保のために集合離散を繰り返し、猿山のボス猿争いを繰り返し、内政、外交ともに全くイニシアティブを発揮できない状況である。韓国やインドネシアに対する民間融資団会議では最大の債権を有する日本の金融機関はすべも無く会議の主導権を欧米の金融機関に奪われる。東京の大手町界隈では外資系金融機関に勤める外国人が闊歩する。彼らは日本の金融機関を訪ね、莫大な投資資金をバックに日本の不動産を買いたたく。「アジアの状況はアメリカ本社でも心配している。まあ、幸い日本は他のアジアの国と違って資金もあるようだから、それほどひどいことにはならないと思うが。」といった発言も外資系金融機関からは耳にする。

国民の多くも日本という国に対する自信を失っていると思う。たとえば外資系金融機関というだけでそれは無敵の力をほこる存在のように多くの人の目には映るらしい。また外資系格付機関の発表する格付も神の声に等しい意味を持っているようだ。グローバルスタンダードという一言で日本式のやり方は否定され、まるで日本式のやり方全てが悪であるかのごとく信じられている。テレビコマーシャルでは「日本にエンターテイメントを輸出するぞ!!」とアーノルド・シュワルツネッガー扮するアメリカ大統領が意気込む映像なども流れている。

ちょっと待ってほしい。

どうして自分の国に対する自信を失うのか。「日本はだめだね」そんな評論家まがいの一言で片づけられるのか?それは無責任だ。どこまで逃げても「日本人」であるという事実からは逃れられない。なぜ自分の生まれ育った国である「日本」に対して真剣に向き合わないのか。日本人が変えようとしなければ日本は変わらない。他の誰かが日本を良くしてくれるという甘い幻想などは存在しない。

日本の持つ力を信じよう。世界最大の債権国として世界に資本供給しているのは日本である。地政学的に考えてアジアにおいて極めて重要な場所に存在するのも日本である。日本の製造業のもつ技術は世界の先端を走るものである。教育水準も世界最高水準である。治安のよさも世界最高水準である。こういった素晴らしいものを手にしながら何もしないで手をこまねいているのは愚かしい。

アメリカの大統領は"My fellow American!"と呼びかける。強いアメリカであることを誇りとしている。本来国家とはそういうものだ。それのどこが悪いのか。

"My fellow Japanese!!"と呼びかけ、強い日本であることを誇りに思おうではないか。もちろんそれは奢り高ぶることとは一線を画したことである。謙虚に自らの弱点を知り、それを克服するための痛みに耐え、自らの国を信じてより良いものにする。国民一人一人がそういった感情を持つことがナショナリティーである。