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中央銀行の独立性


日本銀行総裁が今回の営業局課長の逮捕にともない引責辞任するとのことである。

私は松下総裁はどれほど非難されようとも、事件が沈静化し、市場が落ち着くまでの数ヶ月間はその地位に留まるべきであったと考える。辞任という選択は最悪である。

昨年6月11日に改正された日銀法はこう規定する。

(役員の身分保障)

第25条

日本銀行の役員(理事を除く。)は、第23条第6項後段に規定する場合又は次の各号に掲げる場合のいずれかに該当する場合を除くほか、在任中、その意に反して解任されることがない。

一 禁治産、準禁治産又は破産の宣告を受けたとき。

二 この法律の規定により処罰されたとき。

三 禁錮以上の刑に処せられたとき。

四 心身の故障のため職務を執行することができないと委員会(監事にあっては、委員会及び内閣)により認められたとき。

2 内閣又は大蔵大臣は、日本銀行の役員が前項各号に掲げる場合のいずれかに該当する場合には、当該役員を解任しなければならない。 改正前も政策委員の身分保障に同様の規定が存在した。法的にこれほどまで地位が守られているのは他には裁判官くらいであろう。

では、なぜこういったことが必要なのであろうか?それは中央銀行の金融政策が政府から独立し、中立なものであることを担保するためである。金融政策は政治家にとっては甘い蜜である。政権の支持率が下がったとき、短期的に国民にとって受けの良い金融政策を実施することが可能であれば、そんなに素晴らしいことはない。しかしながらそういった場当たりな金融政策は中長期的な視野を失い、結局のところ金融市場の混乱、崩壊という重いツケを国民に支払わせることとなる。現代の資本主義社会にとってきわめて重要な金融市場という財産を守り育てる役割を政治の恣意性とは切り離し、中央銀行という中立な専門家の手に託すという仕組みなのだ。

今回の事件は中央銀行の中立性を揺らがせる大事件であった。しかしそれ以上に松下総裁の辞任は中央銀行の中立性を失わせる行為である。政治家がどれほど周りで騒ごうともそんな雑音は無視すべきであった。それが中央銀行に求められる姿勢なのだから。国民と金融市場の参加者(日本人のみならず世界中の金融機関)に対して、明確に中央銀行に対する信頼を回復するための方策を示し、それを速やかに実行にうつし、現実に信頼を回復することが松下総裁が率いる日本銀行がすべきことであったのだ。どれほど批判されようとも行動でその批判に応えることが中央銀行総裁たる者の責務であり、矜持である。

しかし松下総裁は辞任をし、後任の総裁人事は汚れきった政治家に牛耳られようとしている。中央銀行が政治からの独立性を有しない国の通貨や金融市場を誰が信用するだろうか?世界の市場は直ちに円売りを以って明確なメッセージを送ってきた。

日本の愚かな政治家は市場のメッセージが意味することを理解できるのだろうか?それが彼らに対する嘲りと冷笑であることを。