Accountability
August 28, 1998
今日、タクシーに乗っていたときのことである。
ぼーっと外の雨を眺めながら、ラジオから流れる国会中継を聞いていた。質問者(後でタクシーの運転手に聞いたのだが、民主党の若手議員、ついこの間まで大蔵官僚だったそうだ。)がいろいろと細かい質問をしている。どんな目的があってしているのか皆目見当のつかないような質問が、15分ばかり続いたときだった。
「何の話だか、わけわかりませんよね。なんだかちまちました話で。」とタクシーの運転手が私に話しかけた。
「でも要は長銀の話で、政府の責任を引き出して、誰かが悪いっていうつもりなんでしょ。」「そんなちんけな話している場合なんですかねぇ?株は大暴落だし、景気はよくなんないし。税金を使うから、責任がどうのこうの、って言いたいんだろうけど、潰しちゃったらしょうがないし。税金を使って、早いとこ片付けて欲しいですよね。多少の金渋って、そんで税金収めている私らが干上がっちゃぁ意味ないっすよね。」
そして、最後の一言。「こんな、条文がどうのこうのなんて話ししないで、もっと日本をどうするって大きな話してもらいたいですよね。こんなんじゃぁ、先が見えなくて、かなわんですよ。」「民主党もあんまり自分のことばっかり考えて、くだらないことしていると、もう人気なくなっちゃいますよね。批判ばっかりなら誰だってやれるんですもんね。」
実際、ラジオで流れていた国会答弁は、本当になさけなくなるくらい空ろな質問だった。重箱の隅を突付いてどうするんだと、うんざりしてしまうような質問。こんなことが続いたら、国民が政治を見放すのは間違いない。タクシーの運転手さんが言っていた「日本をどうする」という大きなビジョンを議論してから、個別の細かい話をするべきなのだ。ビジョンなしに政治は成り立たない。
危機的な局面で政治家に求められることは、大きな方針の転換を普通の人が理解し、納得できるように説明すること。これに尽きる。Accountabilityとは何でもかんでも開示して説明するなどと言う簡単なことではない、「相手が理解できるように説明する」ということなのである。