器械と人間
October 27, 1997
先日タクシーに乗って移動中に、携帯電話からアメリカの弁護士事務所に電話をかける一方で、電話の相手から送られているはずのメールをPHSを使ってノートパソコンでダウンロードし、その内容をチェックしながら、急ぎの仕事を片づけていた。(PHSもそれほどスピードが出ていなければ車の中からでも利用できる。)
というのも、私はアメリカ西海岸やらハワイとの仕事が多く、先方とコンタクトが取れるのが日本の午前中に限られてしまっているからだ。それこそ午前中に出先でのアポイントメントでもあったりした日には、移動時間といえどももったいないので、タクシーに乗り込んでは国際電話をかけて仕事をこなすことになる。
タクシーを下りるときに「お客さん、世界をまたにかけるビジネスマンだねぇ。CMみたいじゃないですかぁ。かっこいいねぇ。」と声をかけられて、ちょっとショックを受けてしまった。本人は格好をつけようなどと言った特別の意識も無く、むしろ必要に迫られやっているだけで、「時間が無いからばたばたして最低だぜ、ほんとにもぉ」とむっとしているくらいなのだ。
多分、そうやってむきになって連絡を取らないでいても、なんとかなるものだとは思う。というのもつい数年ほど前迄は私がタクシーの中でやっていたことの殆どが不可能だったからである。その頃はその頃でなんとかなっていたのだ。しかし、ついつい連絡手段があればそれを利用してしまい、結局忙しい思いをしてしまう。最近では朝の通勤電車を待つ間や夕方友人との待ち合わせをしている間にも、ふと思い立って携帯電話から国際電話をして仕事の用事を済ましてしまうこともある。仕事中毒だと言われればそれまでだが。
同じようなことはオフィスでも起きている。今やLAN、グループウェア、様々なWINDOSWアプリケーションソフトを駆使して仕事をしている訳である。電卓と計算用紙、熱転写のワープロ、MS-DOSでの123を使っていた頃に比べればはるかに処理する情報量は増えており、生産性も圧倒的に向上しているはずであるが、どうも仕事が楽になっているようには思えない。と言うのも、処理する速度が速くなればなるほど、次から次へと仕事が湧いてきて、結局働いている総時間数は何にも変っていないように感じるのだ。
もちろん会社としてはこれは願ったりかなったりであろう。というのは生産性が向上して同一人物が同じ時間の間で処理する仕事量が増大している訳であるのだから。しかし、どうもこういった生産性の向上が自分にとって何らかのメリットを生み出しているとは思えないのである。
正直な気持ちを言うと、能率をよくする様々な器械、携帯電話、PC、LAN等々に絞り取られるように人間様が仕事をさせられているというように感じるのである。エクセルに尻を叩かれ、ノーツに追われ、携帯電話とノートパソコンにあおられているという具合だ。
製造業の現場では、チャップリンの映画にもあったように、マスプロダクションによって生産性を向上させていく中で、人間性の疎外が発生していた。最後には最もコストの高い人間は製造の現場からかなり姿を消してしまったが・・・多分、それと同じことがホワイトカラーと呼ばれる職種でもついに始まったと考えるべきなのだろう。
そうなると、様々な通信電子機器の進歩はとても手放しで喜ぶわけにはいかないのが、私の個人的な想いである。