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36条発動再び


ほろ酔い気分で自宅に向かうタクシーのラジオが日債銀のことをニュースで伝えている。日本長期信用銀行に続いて日本債権信用銀行が公的管理下におかれることが事実上決定した。

中央信託との合併の話が不可解なまでに突如破談になった直後の出来事である。

確かに日債銀の不良債権処理の遅れは、あまり大きな話題にはなっていなかったが、相当なものであった。前回の経営危機で打ち出されたリストラにもかかわらずに総貸出の37%近い不良債権を抱えているという状況は専門家の目から見ればいつ危機が再燃してもおかしくない状況であった。

振り返って考えてみれば、日債銀のケースは長銀と住友信託の合併の話と極めて多くの類似点がある。合併の噂、そして合併の破綻、最後に信用不安から破綻へという流れ。但し、今回は前回の失敗を踏まえて、全てが迅速に進んだことは高く評価できるであろう。市場が日債銀にNOを突き付ける前に、行政自らが破綻を宣言し先手を打ったわけだ。政府が破綻を決定する勇気を持つことができるかという市場の問いかけに対して、無事応えることができたという点では日本の金融システムへの信頼も若干であるが高まるに違いない。

日債銀の破綻にあたっていくつかの思いがよぎる。それを思い付くままに述べてみたい。

これで3つあった長期信用系銀行はついに興銀1つを残すのみとなった。逆に言えば、今日長期信用系銀行というカテゴリーは日本の金融から姿を消したということになる。戦後の復興を目指すために基幹産業に対して長期資金を安定的に供給するために設立された長期信用系銀行はその役割を果たし、消え去ったということだ。ここで注目すべき点は、同様の使命を負って存在してきていた信託銀行である。長銀、日債銀の合併パートナーとして取り沙汰されたのが住信、中央信という信託銀行である。行政側も当然ながら長期系金融機関の存在意義の低下を認識しており、合併により長期系金融機関の総合金融機関への模様替えを指向していたのであろう。

今までの金融行政であれば無理矢理合併を推進することも可能であったのかもしれない。しかし、現実にはそれは果たされなかった。金融行政における大蔵省の大幅な地盤沈下と、個別銀行が護送船団、奉加帳方式から離別して独自の経営を行い始めたことの現われと見ることができる。

では、信託銀行はどのようにして生き残っていくのであろうか?この業界が今後の日本の銀行再編の流れを見るにあたって一つのポイントとなるのではと考える。

次は、前回の日債銀危機に際に行われた増資である。36条による破綻認定を行えば、同行の株式はほぼ間違いなくゼロ評価ということになろう。しかし金融機関からの増資にあたって、日債銀の経営が破綻することはないこと、それゆえ増資分については2年間の譲渡制限が付けられたという事実を、誰がどう責任をとるのだろうか?この増資は間違いなく大蔵省、日本銀行によって描かれたものである。マクロの視点から見れば、奉加帳方式からの決別のためのコストであると割りきることができる。しかし、決して行政の責任を追及する手を緩めてはならないと考える。当時の行政判断を行った者をしっかりと公開の場所に引きずり出し、その責任を白日の下にさらす必要がある。もちろん、状況の変化を言い訳とするかもしれない。しかし、結果責任は私企業であればかならずとらなくてはならないのである。それと同じスタンダードを行政にも適用すべきであり、行政の甘えを決して許してはならない。

最後に、公的管理下におかれた銀行の今後について。破綻へのスムーズな移行は長銀、日債銀と続くことによって確立されたと言っても良いであろう。しかし、それはあくまでも死者を救急車に載せて運び出しただけのことである。死者を道端に放置しなくなっただけでは決して誉められたものではない。運び出した後は、死に化粧を施して、葬式をあげ、火葬場で火葬にし、納骨まで済ませなければならなことを我々は忘れてはならない。長銀、日債銀の貸出先は重複していることも多いであろう。どうやって、灰色債権に線を引くのか。人材流出防止を含めて企業体としての価値維持をどのように行うのか。最終的な引き取り手をどのようにして探すのか。さまざまな問題が山積している。これからが日本の金融再生にとっては重要なポイントであることをしっかりと認識しなくてはならない。